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中絶を選択!死産!子宮穿孔!苦しかった日々を乗り越えた今!

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こんにちは♡

いねむり母さんの頭の中の管理人トトモカ(@totomoka2)です。

いつもどこかおふざけが入ってしまう私ですが、今日は真面目にいきたいと思います。

人が、生きていく中で苦しかった出来事や触れられたくない過去が一つや二つありますよね。

今日はそんなお話しです。

私は今日からちょうど4年前に死産を経験しました。

この記事を書こうと思ったのは死産を経験した後、気持ちが早く楽になりたくて同じような体験をした人の体験談を読んだり、どのようにその人が元気になれたのか細かく知りたいと思ってたので、そのような方がいれば少しでも役に立ちたいとの思いからです。

妊娠からどのように現在にたどり着いたかを当時の日記を参考に話していくのでかなり長くなります。

長いのは苦手だなと思う方は、目次より結論の自分のこころに正直になる大切さだけ読んでもらったらいいと思います。

妊娠発覚!夫婦共に大喜び

2014年2月16日

妊娠検査薬で妊娠が分かった。最初から子供は4人ほしいと思っていたので陽性反応に一人ニヤニヤ。

(わぁ~旦那に言いたい♡帰って来るまで待つ?今メールで報告?どうする?)

完全に一人で舞い上がっていました。

我慢出来ず『4人のパパになりました♡』とメールをしました。すぐに電話がかかってきて『ほんとに?よかった』と旦那もとても嬉しそうにしていました。

すぐに、病院に行くべきだったのですが、初期だと袋は見えるけど、赤ちゃんが見えない事や、心拍が確認出来ないからという自分勝手な理由で病院を後回しにしました。

妊娠して初めての病院

2014年4月2日

妊娠が分かって1ヶ月半程たって、初めて病院に行きました。

内診をして赤ちゃんが画面に映ると自分で思っていた赤ちゃん(そら豆のような形)より1ヶ月ほど成長していた赤ちゃん(手も足もあってドラえもんのような形)が画面に映しだされてビックリと同時に可愛い♡とすでに親バカ発揮したのを今でもハッキリと覚えています。

そして、すぐに先生が『う~ん、ちょっと待てよー』とカーテンの向こう側で言い始めたので、何かあったのかな?と感じ、内診が終わって次に診察室に呼ばれるまでの間がとても長く感じました。

診察室に呼ばれ、どうか何でもありませんようにと願いながらイスにすわりました。

先生から告げられたのは染色体異常でした。それもそれだけではなく、他にも色々と異常を持っていて、おそらく持たないだろうと言われました。

私が何も言わずにただ頷いて先生の話を聞いていると、大きくなると赤ちゃんも苦しむし母体にも負担がかかるので、1日でも早めに手術をして取り出すことを強くすすめられました。

会計を待っている間、妊娠をスゴく喜んでくれた旦那の顔が浮かんできて、こらえていた涙が一気に溢れ産婦人科の幸せムードの中一人だけ泣きました。

旦那と母に報告

旦那は、仕事だったのでまず母に電話で報告しました。母は私が産みたいと言い出すのを恐れてたのか、すかさず『先生の言うとおりだよ。早めに手術した方がいいよ。』といいました。

正直、私は周りの反対を押し切ってまで産む勇気もなく中絶する気持ちに傾いていました。

でも心でほんとにそれでいいのか?赤ちゃんは産まれてきたいのに私の身勝手な考えなんじゃないか?と頭の中を色々な考えがグルグルしていました。

旦那には病院で先生に言われた事、今回中絶する事に気持ちが傾いている事を話しました。

旦那は黙って私の話を聞いて私が話し終わると『赤ちゃんがまだ準備できないまま急いでお腹の中に入って来たんだな。また準備が出来たら戻っておいでっていう気持ちでいたらいいんじゃないか』と普段言いそうもない精一杯の言葉をかけてくれました。

明日、仕事を休んで病院に一緒に行く事になりました。

お腹にいる赤ちゃんが居なくなることを考えると一睡もできないまま朝になり病院に向かいました。

中絶を選択ひどい母親でごめんなさい

2014年4月3日

病院に向かってる時も中絶を選択したこと、産む勇気がない自分を責めながら何度も何度も、お腹の赤ちゃんに謝りました。

入院1日目(処置)

お腹の赤ちゃんの週数が13週になってる事から、簡単な処置では済まないので入院が必要で、費用は25万円かかると言われました。こんなにまでも悲しい事に25万も払う現実。踏んだり蹴ったりだと思った。

そんな事を思ってると13週にもなると子宮を広げる処置をしなければいけないと説明され、陣痛待合室のベッドで着替えるように言われた。

隣のベッドでは陣痛で苦しんでる人がいる。それが今の私には辛くてまた泣いてしまった。

一人の看護師さんがそれに気づきすぐに部屋に案内してくれ『処置の時間までゆっくりしていてね』と優しかった。

しばらくして、処置室に呼ばれ子宮を広げる為の処置(子宮に何かを入れた)をしたのだが、それが言葉にならない程の激痛で泣きそうになった。夕方と最終は夜の10時にもあるからね。と看護師から言われ、こんなに痛いのが後2回もあると思うと恐怖感がありました。

痛い思いをしても赤ちゃんとのさよならが辛くて泣いてても、お腹が空く自分が情けないと感じた。

朝から付き添ってくれてる旦那は私になんて声をかけたらいいか分からない様子だったが、ただ側に居てくれるだけで気持ちが楽になった。

夕方4時過ぎに部屋の電話が鳴り、処置室に来るように言われてまた泣いた。

その時の涙は悲しみよりも、あの痛さをまた味わう恐怖の方が大きかったと思う。

処置室に行き、座ると恐怖から余計に涙がでた。

看護師が手を握ってくれ『息を吐いて、力抜いてね~』とアドバイスをくれたので言われた通りにしたけど、朝1本だった薬を今度は4本入れた。

その度、激痛で泣きながら必死で看護師さんの手を握った。

最後、夜の10時に呼ばれた時はパニックを起こしたのか、自分でもよく分からない感情に子供のように泣き叫んでしまった。

自分でコントロール出来なくなり泣きわめく中、最後の処置が終わり看護師さんが『明日は、麻酔で寝てる間に全て終わるから心配しないでね』と言われた。

部屋に戻り旦那の顔を見るとまた子供のように泣きじゃくった。

昨日、眠っていない私はいつの間に寝ていた。

入院2日目(手術で子宮穿孔)

術前

2014年4月4日

朝9時に手術の用意をするため呼ばれた。

自分で選択した事なのに自分勝手な私は、赤ちゃんがお腹の中から居なくなる悲しみで泣きながら昨日の処置室に向かった。

処置室に付くと昨日の恐怖が蘇ってきたが、看護師さん『今日は、痛くないからね』と励ましながら手術の準備のため点滴をした。

『今から麻酔していくね。眠くなるよ』と言いながら薬を追加すると天井がぼんやりしてきた。眠りから覚めると赤ちゃんは、居ないんだな‥‥

術後

意識が少し戻った時、周りがとても騒がしかった。見たことないたくさんの人(医療スタッフ)に囲まれ、それぞれが慌ただしく動いていた。

何かとんでもない事が起きてる?知ってる人がいないので夢を見ているのか?と考えながら、また眠っていた。

次に目が覚めた時には、見たことない病室に、旦那、母、妹2人、私の長女がいた。みんな心配そうに私を見ていた。

母の説明によると手術中に子宮穿孔(子宮に穴があく)してしまい大きな病院に運ばれたとのこと。

死ぬんじゃないかと思ったと言われました。

輸血に、点滴3本、心電図、酸素が繋がれていた。意識がもうろうとする中、子供(長女)が、『行こうね~頑張ってね』と言って病室を出ていった。

私はまた目を閉じた。

死産だったと知らされ

次に目を覚ました時には、旦那、母、妹(三女)が病室にいた。

赤ちゃんは、手術の直前に心音が取れずお腹の中で動かなくなって、亡くなってた事を聞かされた。

結果、今回は死産という事になった。

中絶を選択した私が自分を責めないようにしてくれたんじゃないかと思い、涙が出てきた。

旦那の目は真っ赤になり泣いた様子だった。赤ちゃんを見たらしい。

私にも見るか聞いたけど断ったみたい。あまり覚えていないが‥‥

でも私はそれでよかったんだと思う。見てしまったら普通でいられなくなる自分が想像出来たから。

こんなショックな事ばかり続いたけど、旦那が赤ちゃんを見てくれた事はちょっぴり嬉しかった。

旦那は、今から赤ちゃんを連れて産婦人科に行き死産証明書を取って市役所に行くと言っていた。

13週なので火葬が必要で死産証明書を市役所に提出しないといけないとの事。

色々な事を旦那がやってくれた。

赤ちゃんは、小さいけど頭があって、体があって、目や鼻、うっすらと口が分かったと旦那が説明してくれた。

小さくても、しっかりと生きていた証だった。

総合病院で付き添いでも、お泊まり出来ないと言われ夜になるとみんな帰っていった。

旦那から1通のメールが届いた。

『今回、こんな結果になったけど、次に赤ちゃんがほしいと思えるまでゆっくり待つからさ。今日4月4日は、チビちゃんの命日で、これから先、忘れないように頑張って子育てしてチビちゃんの分までいっぱい生きようね。疲れてるはずだし、痛いはずだし、眠れるなら早く眠って』

口ベタな旦那の精一杯の励ましの言葉に涙がでた。

結局、眠れず朝になった。

カウンセリング

2014年4月6日

眠れない私を心配した看護師さんが『先生に許可取れてるから旦那さんお泊まりして大丈夫だからね』と言ってくれた。

術後2日目、初めて見るお腹の傷、廊下を歩くお腹の大きな妊婦さん。

お風呂あがり髪の毛を乾かしてると涙がでてきた。

2日前までは、私のお腹にも赤ちゃんが居たのになぁー。

色々な事が起こり、ゆっくり考える時間がなかったなぁー。気分が沈んでる。

子供達元気かな?新しい学年なるけど準備は大丈夫かな?元気になって家に帰らなきゃ。

そんな事を考えていると、看護師さんがきて、カウンセラーの先生がいるからカウンセリングを受けてみたらどうかと提案してきた。

正直どっちでもよかったけど、とりあえず受けてみることにした。

カウンセリングでは今の正直な気持ち、赤ちゃんに対する思いや、旦那への感謝、今後赤ちゃんが出来るのか心配な事、その他聞かれる事を話していく。

人前で泣いたり感情を出したりするのが苦手だったが、話しながらたくさん泣くと気持ちがスッキリした。

退院

2014年4月10日

今回の事を振り返ると

  • 赤ちゃんに染色体異常があると聞かされる。
  • 中絶という選択
  • 激痛な処置に耐える
  • 手術前に心音取れず死産
  • 子宮穿孔(子宮に穴があく)
  • 救急車で大きな病院に運ばれる
  • 輸血
  • 開腹手術

箇条書きにしてみると、これだけの事が3日で起きたんだなぁーと改めて感じる。

今日の退院をきっかけに気持ちを入れ替えて頑張っていこう!

私には、旦那、子供3人、必要としてくれてる人がいると言うこと忘れず生活していく。

天国のチビちゃん、忘れないからね。絶対に戻ってきてね。

悲しむのは、終わり家に帰ったら元気に頑張る。

以上。当時の日記より

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診療内科に通う

4年前の私は、退院して元気になって普通の生活に戻れると思ったのですが、いつもの調子に戻らず常に心配事があるような動悸がするような、気持ちも元気になったり、落ち込んだりを繰り返していました。

どちらかと言うと好奇心旺盛で、色々とチャレンジするのが好きだった私でしたが、この頃は、すっかり殻に閉じこもった状態になりました。

悲しくなった時いつも私は、自分に向かって、悲しんでいたらダメ!40週で死産を経験する人が居る中、13週の死産でいつまでもクヨクヨしていては、ダメだと言い聞かせていました。

今思うと何それ?誰が決めた?と言ってやりたいです。

そうやって、悲しみたい自分を押さえつけて我慢していたのが限界に達した時、私は何もやる気が起きず、洗濯も掃除も出来ず散らかった部屋を見て自己嫌悪に陥るといった、負の連鎖の中に居ました。

母に早めに診療内科を受診するように言われ、結局2年ほど薬を服用しました。

適応障害

診療内科を受診して薬を服用すると、フワフワと少し酔った感覚になり家事や他の事も出来るようになり症状もよくなりました。

でもそんな中、今度は適応障害になってしまいました。

適応障害とは?

適応障害は、ある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。

厚生労働省ホームページより

私は旦那の実家に行く用事ができると、不安感に襲われ動悸がしたりしました。

最初こんな事、旦那には言えずスゴく悩みました。

気持ちをぶちまける

薬に頼りながら、赤ちゃんの死産から約2年が経とうとしていた頃、急にあの日の病院の風景や、廊下を歩く妊婦さんを見て泣いた事など、フラッシュバックするようになって時々苦しくなった。

泣きながら旦那に話すと『もう2年も経つんだよ~そろそろ前に進まないと』って前向きになってほしいといってきました。それを言われた瞬間私は、感情的になりそんなの自分が一番知っている!頭では、分かっていても心がついていかなくて、苦しい!助けて』と声をあげて泣きながら気持ちをぶつけました。

その時、初めて適応障害の事も話して私があなたの実家に行きたくない時には、そっとしてほしいといいました。

旦那はできる限りの事は協力するから2人で頑張ってみようと言ってくれました。

今まで、いつ旦那の実家に行く用事が出来るか、その時、自分が行ける気持ちなのか不安でしたが、旦那に話す事によって私の心は軽くなり毎日を安心して過ごす事が出来ました。

前向きになり始めた

悲しい時はとことん悲しむと決めた時からだいぶ前向きになれた。2年を過ぎた頃、初めて新しい事に挑戦しようと意欲がわき子猫のミルクボランティアに申し込みました。

早速、生後2週間にもならない子猫を引き受ける事になりました。それが、現在ウチで飼っているネオとの出会いでした。

子猫のネオに3時間おきにミルクをあげるのは、大変でしたが子供たちも嬉しそうにお世話を手伝ってくれたので、とてもいい経験だったと思います。

 

妊娠・出産

2017年1月末

猫を飼い始めて、薬に頼らなくても気持ちが安定するようになった私に、ずっと望んでいた赤ちゃんが戻って来てくれた。

実際は戻って来てくれたのかなんて誰にも分らないけど、そう思いたい自分がいました。

とても嬉しい反面、前回のようになってしまうんじゃないかと、病院に行く度に不安にもなりました。

すぐにつわりが来て、ほとんど動けない私でしたが、家族の協力もあってお腹の赤ちゃんを育てる事を最優先に行動する事ができました。

前回の手術で子宮穿孔をおこしてる為、今回の妊娠・出産にはリスクがありました。

検診も他の妊婦さんのペースとは違い、多く病院に通いました。子宮破裂を避けるため、赤ちゃんを早めにお腹から出すという方法を提案され、それに従う事になった。

2017年9月4日

思ったよりも順調で、ギリギリまで家で過ごす事が出来ましたがいよいよ入院の日になりました。

旦那に付き添ってもらい病院へ、すぐにベッドでモニターをとり、お腹の張りのチェックをしました。1時間もしないうちに次々看護師さんや研修医の人が来て、陣痛らしき張りがきてるが、NICUで赤ちゃんのベッド数が足りないから、今から救急搬送すると言われ救急車に乗せられました。

受け入れ先の病院につき、張り止めの点滴を打ったら張りも治まり赤ちゃんを1日でも長くお腹の中で育てようという事になりました。

2017年9月12日

帝王切開で無事に赤ちゃんを出産。少しNICUにいましたが、すぐに退院でき、現在6ヶ月元気いっぱい泣き抱っこマンです。

自分の心に正直になる大切さ

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。

少し前までは、思い出すと苦しくて悲しい出来事でしたが、今は進んで話したい事ではありませんが普通に話せるようになりました。

私が乗り越えられたのは、自分の心に正直になってからです。

もちろん周りの協力があってのことです。これはほんとに感謝しています。

頭で頑張ろうと思っても心がついていかないから苦しくなるということを繰り返していました。

ちゃんと悲しんでいないから、いつまでたっても心は、モヤモヤして晴れないままです。

少し前の文中に40週で死産を経験する人が居る中、13週の死産でいつまでもクヨクヨしていては、ダメだと言い聞かせていました。

とありますが、週数が小さいから悲しくない、大きいから悲しいといったことでは、全くないんですよね。

妊娠、出産を経験した事はあっても、流産や死産を経験した事のない時の私は、正直に話すと形にならないぐらいの赤ちゃんだと、そこまでは、悲しくないんじゃないか?と考えた事がありました。

でもそれは間違ってました。

赤ちゃんがお腹の中に居ると知った時点から母親になってるんです。小さくても大切な命がなくなると、それはとても悲しいことで悲しみを我慢する必要はないんです。

しっかりと悲しむ事が出来ればきっと笑える日が来ます。

昔の私のように苦しんでる方は、あなたのためにも大切な人のためにも無理に頑張ろうとしないでください。

焦らずほんの少しずつ時間をかけて元気になることが1番です。

自分の心に正直になればきっと乗り越えられる日が来ます。

長くなりましたが最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

 


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